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【野球】花粉症で引退した男、田淵幸一さんに聞く“鼻水との長い戦い”
投稿日 2020年3月5日 20:41:21 (阪神タイガースまとめ)
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いったいシーズンはどうなるのか……とファンにしたら気が気ではないが、ここにもひとり、新型コロナウイルスが及ぼしたある事態に気を揉む偉大な球人がいる。
1月にエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たした、通算474本塁打の田淵幸一さんである。
「何せマスクが見つからないんだよ。どこの薬局に行っても全然売っていない。新型コロナも大変だけどさ、この時期(2月半ば)にマスクがないのは花粉症の身にとっては本当に辛いのよ」
実は田淵さんは約40年来の花粉症患者である。
筆者が子供の頃の昭和50年代末期、西武の主砲だった田淵さんが春先になると花粉症に悩まされるという話を知り、子供ながらに「そんな不思議な病気があるのか!」と驚いた。
同じように田淵さんがきっかけで「花粉症」のワードが脳裏に刻み込まれた人は結構多いはずだ。
今や日本人の4人に1人が患っていると言われる国民病で、毎年2月から4月までテレビの天気予報と共に花粉情報が流れるほど春先の風物詩となった花粉症だけど、その当時患っていた人は少なかった。その一人が田淵さんだったのだ。
田淵さんの花粉症発症の瞬間
「あれは忘れもしない昭和57年2月の高知・春野のキャンプ。
ある時、熱はないのに鼻水が止まらなくて、頭がやたらとボーッとする日が何日も続いたわけ。
変な風邪だなあ、おかしいなあと思っていたんだけど、その年は新しく広岡(達朗)監督になったばかりで、練習を休むと1日1万円の罰金を払わないといけない。
だから無理して練習に出ていたんだけど、もう限界ってことで3日くらい休ませてもらったんだ。
宿舎で横になっている時はいいけど、立ち上がると鼻水がダーッと垂れてくる。
もう1日中その繰り返しで、今でも2月になると当時のイヤな思い出が蘇ってくるよ。広岡さんは広岡さんで“自己管理がなっとらん!”的なことを新聞記者に話すしね(笑)」
前年まで指名打者専門だった田淵さんはその年、広岡新監督の「田淵も一塁を守るように」との命により張り切っていた。
2月6日のスポーツニッポン一面には【ホント!? 「名一塁田淵」広岡監督絶賛】の見出しとともに、プロ入り14年目にして初めて一塁手として特守を受けた旨の記事が載っている。
前年のキャンプでは練習時間1日2時間半、食事は焼肉モリモリ、体重は96キロ。
休日はゴロ寝か外出、グローブは1個だけ持参していた。
ところがその年は心機一転、毎日4時間半の猛練習、食事は玄米を中心とした自然食。体重は88キロまで絞り、休日はビデオで相手投手の研究。ファーストミットは実に4個も用意する気合いの入れようだったのだ。
しかしスポニチによると21日の練習で前日からの風邪が悪化し、翌22日から3日間完全休養。
25日の同紙には“熱はないし鼻カゼ程度。
疲れのためか回復力が弱っているので休ませた方が――と報告した”(辻野トレーナー)
“ヤル気になったらやれないことはないが大事を取って休ませてもらった。明日は何が何でも出ます”(田淵さん)というコメントが載っている。これが田淵さんの花粉症発症の瞬間である。
3/5(木) 11:00配信
「それで病院に行ったら、季節性アレルギー性鼻炎、つまり花粉症だって言うんだよ。初めて聞いた病名だから“何それ?”って感じだよね。でも検査してみると間違いなくスギ花粉アレルギーだと。しかし原因がわかったところで目はショボショボするし鼻水は垂れるから、錠剤や目薬で何とか抑えるしかないわけ。だからオレは七つ道具を肌身離さず持っていたんだ。目薬数種類と点鼻薬、ティッシュにマスク……。さすがにプレー中にマスクはできないけど、目薬は常にユニフォームのポケットに入れていたよ。で、ベンチにいる間はずっとティッシュで鼻をかみっぱなし。何せティッシュを1日1箱、2箱と平気で使っちゃうんだから。あれは辛かったなあ」
当時花粉症が珍しい疾患だったことや、田淵さんのキャラクターも相まって、4コマ漫画で花粉症をネタにされたり、週刊誌やスポーツ紙に奇病扱いされて面白おかしく書かれたこともある。そういう周囲の理解のなさに腹が立ったことはないのだろうか。
「まあ、あの頃は他にもいろいろ書かれたし、スポーツ新聞は何かというとオレと広岡さんの仲を書き立てていたから……。今は広岡さんとは仲良いんだよ。毎年2月9日の広岡さんの誕生日にはちゃんと“おめでとうございます”と電話するくらいにね(笑)。でも思えば、オレが昭和59年に引退を決めたのは花粉症が原因よ。特にあの年はキャンプ中から症状がひどかった。開幕して5月頃になっても治まらなくて、次第に闘争心もなくなって“ああ、これはもう今年いっぱいだな”と」
前年、昭和58年は夏場に死球で離脱するまでホームラン王争いのトップを独走し、打率.293、30本塁打をマーク。巨人との日本シリーズでも優秀選手賞を獲得した田淵さんだが、翌59年は開幕から不調に陥っていた。ちょうどその頃、週刊文春の昭和59年4月12日号で田淵さんは花粉症についてこう話しているのだ。
“いやー、はな水が自然に出て、鼻がむずがゆくて、むずがゆくて……。水っけの多いはな水で、ひとりでに出てくるんです。何かを見ても、焦点が定まらなくて、ボケーッとしているんです。かすんでいる感じですね。本当に往生していますわ”
“ものを食べてもおいしくないし、においもまったくわからない。味が消されているんですから、食べてもおいしくないはずですよ。(中略)打撲とか外傷の方が気が楽ですよ。時間がたてば完治するんですからね。こういうのが一番タチが悪い。風邪だって、摂生すればある程度は防げるでしょう。しかしこればっかりは、いくら摂生してもどうしようもない。誰のせいでもないから、誰にあたることもできない。これはつらいんですよね”
“こんな気持で開幕を迎えたのは、十六年の選手生活で初めてですよ。集中力がまったくなくなり、気持がのんべんだらりとする。もう、選手にとって大敵ですよ(クシュン)”
田淵さんは、花粉症患者の中でもかなり重症の部類だったのだろう。この年、打率.230、14本塁打に終わった田淵さんは16年間の選手生活にピリオドを打つわけだが、花粉症の発症後はまだ屋根がなく、周囲を林に囲まれ、なおかつ秩父おろしの風が吹く西武球場の環境もかなりしんどかったのではないだろうか。
「まあ、それも一因だと思うよ。だからオレより少し後に秋山(幸二)も花粉症に罹って苦しんでいた。もっと後になったらゴジラ松井(秀喜)も春先は辛そうだったし、巨人の江川(卓)もそう。でも球界ではオレが一番最初の花粉症患者よ。昔、何かの事典の花粉症の項目に“田淵幸一が発症したことから世に知られるようになった”って出ていたらしいから(笑)。でも当時は何しろ情報が少ないから、いろんな先生に話を聞いたり、本を読んで勉強したりと、藁をも掴む思いで症状を良くしようと必死だったよね。人づてにコーヒーが花粉症に効くと聞けば試したし、あとは鼻から水を入れて口から出して、鼻の通りを良くする方法も人から勧められた。さすがにそれだけは試す勇気が出なかったなあ」
現役を引退して評論家になってからも、花粉症は田淵さんを悩ませた。
「現役時代は西武球場に近い所沢に住んでいたけど、評論家になって数年後に今の杉並の家に引っ越したのよ。で、引っ越して2年目の春、夜中に寝ていたら急に鼻水が止まらなくなった。ティッシュで何度かんでもとめどなく鼻水が出てきて一睡もできない。さすがにまずいと思って所沢時代にお世話になっていた病院の先生に“どうにかしてくれ”と電話して、真夜中に杉並から所沢までクルマを飛ばして、点滴を打ってもらったことがある。するとあっという間に鼻水もスッと治まるから、朝まで病院のベッドで気持ちよく眠ってまたクルマで帰っていく。そんなことが何度もあったね。あの点滴はたぶんステロイド剤だったけど、今の基準だと野球選手が打ってはいけない薬だよな。ドーピングに引っかかっちゃう」
2月といえば評論家のキャンプ地巡りの季節である。特にスギ林が周りに多い球場は、花粉症患者にとってはなかなかしんどい環境である。
「広島カープの宮崎・日南あたりはいつ行っても花粉がキツかった。ひどい時は黄色い粉が舞っているのが見えるんだから(笑)。ダイエーの監督をやっていた頃、福岡は毎年それほど花粉が辛いとは感じなかったけど、宮崎はスギ林が多くてね。でも沖縄はスギ林がないから一切症状が出ない。毎年2月の後半に沖縄のキャンプ地巡りをするけど、その1週間だけは花粉なんて何も気にせずに過ごせる。最高だよ」
近年は効き目の強い薬が出てきたこと、さらに田淵さんは主治医の助言によって毎年12月頃から薬を服用する習慣がついており、以前ほどひどい症状に悩まされることはなくなったという。
「つまり、年を取ったってことだな(笑)。オレはいち早く世間に花粉症の名を知らしめたのもそうだし、バッターに耳当てヘルメットの着用が義務づけられるようになったのも、昭和45年に広島の外木場(義郎)さんから頭にデッドボールを食らったのがきっかけ。オレがきっかけって話は結構多いんだよ。でも今考えると昭和30年代なんてヘルメットも被らずに平気で打席に立っていたんだからすごい話だよな。ある選手なんて帽子の内側に段ボールを張り付けてヘルメット代わりにしていたって言うんだから。さすがに王さん、長嶋さんは早くからヘルメットを被っていたらしいけどね」
そう朗らかに話す田淵さん。3月は全国的にスギ花粉のピーク。ちょうどこの5日、6日は東京や名古屋、大阪で花粉が大量飛散するとの予報が出ている。症状は和らいだとはいえ、まだこの時期ティッシュを手放せない偉大なホームランアーチストに、一日も早くマスクが渡ることを願うばかりである。
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Source: 阪神タイガースちゃんねる
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